2011年03月18日

幸せのライン

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3月11日に発生した東日本大震災により被災された方々に
謹んでお見舞いを申し上げます。


被災地の映像を観るたびに、本当に心が痛みます。


16年前、私も両親と一緒に神戸での被災経験があります。


それまで、神戸は地震が起きたことがほとんどなく、
私自身は正直に言うと、神戸では大きな地震は起きないと
信じ込んでいたところがありました。


ですから、就寝中に激しく突き上げるような縦揺れや掻き回される
ような横揺れで色々な物が棚や机の上から落ちたにもかかわらず、
地震に対する警戒心の無さから夢を見ているのだと思っていました。


しばらくして、階下から両親が私を呼ぶ声で目を覚まし、
真っ暗闇中で足元に物が散乱するものをかき分け、
階段を下り、両親と無事を確認し合いました。


地震直後は、ライフラインが止まり、電話も通じず、情報が
入ってこないために、あの大きな揺れが地震だったのか
どうかも確認する手立てがなく、世界から私たちの居る空間
だけが切り取られてしまったかのような不安感はきっと経験
した人にだけしか分からないものだと思います。


幸いにして、私の住んでいた地域は比較的被害が少ない
場所だった為に家の壁に亀裂が入る程度で済みましたし、
親類も全員無事でした。


被害の大きな地域の惨状は、テレビ・新聞などの報道で
皆さんもご存じの通りですが、被害の少なかった私でさえ
地震の数日後に私たちが住んでいた地域のショッピングセンター
がオープンできる状況になると被害大きかった被災地の方々が
遠い道のりを行列を作って歩いて来られ、必要な物を調達して、
また歩いて帰っていかれる様子や多分火災が起きた地域から来られ
たのか、その方々の服に染みついた煤けた匂いなどが地震という
キーワードで、今でもその当時の記憶として蘇ってきます。


電車が動いていなかったので、友人に原付のバイクを借りて
被害の大きかった場所に住んでいた知り合いの方に、生活に
必要な微々たるものを届けに行った時に見た光景は今でも
目に焼き付いています。
戦争を経験したことが無い私が、火事で焼け野原になった場所
を見て戦後のようだと思いました。


私は今まで、地震に関する話を自分からはほとんどしてきません
でした。
被災したとはいえ、私よりも大変な思いをした方々が
山のように居る中で、できなかったという方が正しいかも
しれません。
それでも、震災の目に見えない傷は残っているのです。


あの日に被災された人々は、それぞれ大小の差はあれど
何かしらの傷を抱えて生活しているのだと思います。


でも今、神戸は復興して人々に笑顔は戻り、大変ながらも
みんな一生懸命に生きています。


災害や事故にあう、またはそのような状況を目の当たりに
すると誰しもが普通に暮らせる事が幸せなことなんだと
気づくと思います。
私も大震災を経験して、ライフラインが正常で自分の家で
不自由なく生活できる事は幸せ、そして大好きな甘い物を
作ったり食べたり、音楽を聴いたり、テレビを観て笑ったり
映画を観たりできるのはもっと幸せな事なんだとしみじみと
感じました。


逆に言うと、甘い物を作る人、音楽を奏でるミュージシャン、
芸能界に生きる人たち、映画を撮る人たちが、その仕事を
まっとうできる状況なり環境に居れるという事は、生活する人々の
幸せのラインがより上がっている状態なのかなとも思いました。
甘い物も音楽も笑いも映画も究極的なことを言うと、無くても生きて
いけるものです。


だとすれば、甘い物も音楽も映画も必要とされる状態の震災前の
神戸に戻り、そしてその状態がずっと続きますようにという個人的
な希望と自分の甘味に対する興味や思いからあかちゃ家をオープン
させました。
ここだけの話ですが。
なので、オープンも震災からちょうど10年後という区切りの2005年に
なるようにしました。


これは、あかちゃ家をオープンするきっかけとなった個人的なエピソード
のひとつで人に話したりする事はありませんでした。
でも、震災を経験していなかったら、あかちゃ家をオープンすることは
なかったかもしれないなとも思うのです。
あの経験がなければ、当たり前のように甘いものを食べ、音楽を聴き
テレビを観て笑い、映画をみて感動していた事でしょう。


私だけではなく、大震災を経験して自分の進むべき道を見つけた人
も本当にたくさん居るのだと思います。
例えば、あの時にけがや病気をされた人は、お医者さんや看護師さんに、
がれきの中で助けられた人は自衛隊員や消防隊員に、不安な日々を過ごし
音楽で勇気づけられた人はミュージシャンに、希望や感動を自分も伝えたいと
思った人はマスメディアの仕事に、また職業に限らず、その他にもたくさんの
かすかな光をあの震災で見つけ出し、ゆっくりとみんなで歩んで行った先に
今の阪神・淡路があるのです。


今回の大地震が起きてから、2週間以上が経った今(現在28日)、様々な
メディアによって被災された東日本の方々のリアルな声が聞こえてきています。
それは、感謝の言葉であったり、前向きな思いであったり、また同時に
様々な不安や国や自治体に対する不満であったり。


当然だと思います。命が助かったという安堵の次は、それぞれが生活という現実に
立ち向かわなければなりません。
でも、負けないでほしいと心から強く願います。
1つ1つすべての事が、簡単な問題ではないし、被害の規模や産業の違いもあるので
今回の大地震を阪神・淡路と全く同じように考える訳にはいかないのかもしれませんが、
どれだけ時間がかかったとしても、かすかな光を見つけ出し、必ず笑顔を取り戻せる日が
やってくる事を信じて毎日を過ごしていってほしいと思います。


どうか1日でも早く日常生活を取り戻し、その先の小さな幸せが被災者すべての方
1人1人に届きますように。


あかちゃ家


追記
写真はお客様が下さった、小さな幸せ。
なんでもイタリアでは、テントウムシが幸せを運んでくれるのだとか。


※日に日に今回の大地震の被害の大きさを知らされ、自分が体験した事と
 比較できないと感じ、途中まで書いた記事を書き直すつもりでしたが、
 やはり自分が感じた事や思った事を書かなければ、と思い途中まで書いた
 文章に再び書き足した為に、記事投稿日時と本文中日時に10日間の
 タイムラグがあります。
 
posted by あかちゃ家 at 02:48| 日記